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009
茜さん
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41歳/女/経理事務/子ども(高2男・中3男・中1女)と離婚裁判申立中の相手と同居
離婚時期と種類=結婚17年目に相手から離婚を要求され兵糧攻めへ。
私からの婚姻費用分担審判請求と相手からの離婚調停が同時開始。現在裁判中。
離婚の原因=夫の暴力と失踪、愛人、浪費 etc…
現在(将来離婚となるはず)=良かったと思う
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人間としての尊厳を忘れさせられた結婚生活
お互いに高校生の時、交際がスタート。彼が東京の大学に裏口入学し、そのまま五月病に。そんな男にぞっこんだった私を親は勘当し、同棲。結局3年間の引きこもり後、専門学校をなんとか卒業した彼は、親の会社に入るために私と結婚という形で地元へ。大学を無事卒業し、晴れて親の会社を手伝いに帰ってきたという出来すぎたシナリオが用意されていました。
会社の後継ぎとなった彼は、その頃から自分の思うようにならないと私に暴力をふるいました。階段から突き飛ばされたり、鼓膜が破れて医者に行っても、同居の親は無視するだけでした。それどころか留守夫婦の部屋に母親が無断で入室したり、私が入浴中に義父が入ってくるなどセクハラもどきもされました。さらに自宅でパーティー中、私が喘息の発作が起きて呼吸困難に陥っても、救急車すら呼んでもらえませんでした。
長男が1歳くらいの時、彼と義父がささいなことで喧嘩になり、結局地続きの隣に新居を構え、私は会社勤めを始めました。時代はOA化が進み、会社のシステム開発を手がけ、夜間工事があれば現場に甘酒やおでんをつくって運び社員に振舞うなど公私にわたって尽くしました。社員の2倍仕事をし、家事もし、子育ても一人でこなしている一方で、頼りの相手は姿をくらます「失踪病」が始まっていて、とてもあてに出来る状態ではありませんでした。それでも3人の子どもに恵まれ、彼がいつかは一人前の社会人になると信じて今を必死に生きてきました。
そんな私の願いもむなしく、彼は私の妹へ暴行未遂、青年会議所に入り付き合いといって外泊を重ね、下着をシルクにして
「俺にはそれだけの価値がある」
と言い放ち、ブランド品ばかり漁るようになりました。車も車検が来る前に取替え、高級車ばかりを乗り、私の給料は全て相手に管理され、全く自由になるお金はありませんでした。暴力で上下関係が出来上がった私の精神構造には、どんな難題を相手に提示されても従うしか生きていく方法がないように感じていたのです。いつか間違えて殺されてもそれは私の人生の終わる時、と信じていました。私自身が、親から虐待を受けて育ったためか、身近な人からの暴力はそれほど抵抗がなかったように思います。悲しいことに、そんなことは当たり前のまま大人になってしまったのです。
離婚を迫った夫をはじめ、公的機関にも足蹴にされた現実
2001年元旦。突然「結婚したい女性がいる」と切り出された離婚話。相手は青年会議所で、共に泊まり歩いていた仲間で資産家の未亡人。全身をブランド品で飾った香水くさい彼の母親似の太った人。生活疲れを背負っている私とは対照的でした。その女性の両親が彼の親の所へ来て、私に「日陰の暮らしをしろ」と迫ってきたのです。
そんな出来事を境に、子ども達が不登校になり始めました。児童相談所は、子ども達と一緒にいるよう指導してきたので仕事を家に持ち帰りしていました。ところが会社からは、無断欠勤による懲戒解雇に。彼は弁護士をつけ、明らかに私たちを追い出そうとしていました。給料も退職金も払われず、生活費も支払われず、不登校の子どもと傷心の私と、人生が止まってしまったかのようでした。その頃、池内ひろ美さんとの面談を受けることができ、なるべく早いスムーズな離婚を勧められましたが、私自身が納得できずに別居へは踏み切れませんでした。
私が行動したことというと、診断書を元に彼を刑事告訴し、離婚調停の呼び出し、婚姻費用の分担の審判の申請をしました。当時、別居のための公正証書を彼と取り交わしましたが、結局その後の調停、審判、裁判に何も影響はありませんでした。
刑事告訴は3月に申請し、結論は12月。約20年間の暴力に対して30万の罰金で終了。告訴してから刑事による現場検証があり、そこにも彼の弁護士が立会い、文句をはさまれました。取調室のような暗い部屋でつくった長い調書は、検察になかなかまわりませんでした。痺れをきらして警察に催促をすると
「事件は貴方だけではない。忙しいのだから待っているように」
といわれ、初夏になってやっと検察に書類がまわったという鈍さでした。
「質問するから来るように」と検察から連絡があった際に
「本来家庭内のことは、警察は介入しない。よく夫を訴えるなんてことを起こしたものだ」
と説教をされました。折しも、DVが法律化されようという風潮の頃に、現場でこんな検事が仕事をしていたのは驚きでした。児童相談所の先生の指導で、栃木県の検察クレームへ電話を入れると急にかこの担当者が替わり、やっと普通に話が出来る担当者になりました。しかし、処理は一向に進まず、何度か検察に呼ばれ、目撃者である妹も証言するために大阪から来てもらいました。彼は、自分の行為を暴力と認めたくなかったのです。
暴力と認定する基準は、彼なりの基準があって刑事や検事に暴力と言われるのが腹立たしかったようです。当時は、私立中学のPTA会長をはじめ、ボーイスカウトの役員、少年補導委員、青年会議所関東地区役員等、世間的役職の高い地位に付いていたため、自尊心が許せなかったのでしょう。ようやくでた結論は、彼の月の小遣い程度の罰金。前科がついたものの世間には全く影響のない、悠々自適な生活は何ひとつ変わりませんでした。
婚姻費用は、2002年1月に結論が出ました。会社経営者の彼には、業務費という名目のお小遣いが法律的にめられています。私たち家族に支払われる費用より、そちらの方が多いのです。申請から10か月もたってやっと出た結果でしたが、申請から遡って婚姻費用を払われる事はありませんでした。「過ぎてしまったというのは、それなりに過ごせたということだから」というのが理由でした。また、彼の性格上、
「高い婚姻費用を無理強いして払わなくなるより、余裕ある生活をさせて継続的に婚姻費用を払わせた方が、より多く払わせる事ができる」
と裁判官はいいました。私の弁護士も裁判官と同意見でした。ここでも金のあるほうが優遇されるのだと実感しました。
嫌がらせを受けながらの裁判を乗越えていくために…
現在、離婚裁判中です。今後、私を不当解雇にした会社を訴えたいと思っていますが、弁護士には思い止まるよう説得されています。あまり勝ち目はないようです。表向きは会社役員の妻なので、雇用関係自体が疑われるのだとか。フルで残業、徹夜もこなしてきた事実は、家庭内従業員という位置づけで、法律的に守られていません。不倫相手の資産家女性へ対する慰謝料も考えていますが、弁護士からは止められています。彼は
「婚姻破綻してから出来た女性だ」
と主張している以上、女性への慰謝料は認められないそうです。私はこうしたことすべてが、精神的に折り合いがつかずにいます。
子どもは徐々に外へ出ようとしています。不登校も市民権を得たところがあり、世間の風当たりが和らいだように思います。隣に住んでいる彼の親と弟夫婦からは、除草剤を撒かれたり、郵便物を開けられたり、洗濯物を持っていかれたりと、彼ら一族からは散々私たちが出て行くような仕打ちを受けています。不当校で貧乏生活の私たちは消してしまいたい存在で、彼らにとっては自分達に都合のいい理由をつけて世間体をおさめたいのでしょう。
「東京家族ラボ」は、いつもメーリングリストで飛び交うメールを読ませてもらい、元気をもらっています。どうしても、どうにもならなくなったら駆け込める場所だと、心の支えにしています。いつか私が、誰かに元気を分けて上げられるくらい落ち着いたら、どんな形でもいいから恩返しをさせてもらいたいと思っています。
2002年11月
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