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006
亜紀さん
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34歳/女/会社員/子ども(小4男)と同居
離婚時期と種類=結婚5年目で協議離婚
離婚の原因=相手の暴力、飲酒、ギャンブルetc...
現在、離婚をして=良かったと思う
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お酒を飲み暴力をふるう夫に疲れ、手首を切ったことも
元の主人とは社内恋愛で1年経った頃、彼が本社転勤の話をキッカケに、急速に結婚の話が進み、気がついたら本社のある東京へと(自宅は千葉)一緒に出てくることになりました。最初は、目新しくも、物珍しくもあったので、休日は二人で連れ立って、あちらこちらへと外出して新婚生活を楽しんでいました。知り合いもない見知らぬ土地であることも手伝って、私にとっては彼だけが、唯一の話相手でした。彼には彼の世界があり、職場に馴染むことも大切だったのでしょう。それがお酒を飲むという行為で、同時にそれが離婚の原因でもありました。楽しく飲むだけなら、何も諍いは起きなかったのですが、飲み出したら止まらないため、調子がよくなると近所のスナックへ出かけ、ツケで飲んできては朝方に帰宅し、次の日は会社を休むというパターンを何度となく繰り返しているうち、お酒を飲む行為そのものに、飲まない私は嫌悪感を持つようになりました。
そんな私の態度を見抜いて、飲み出すと様々なことに因縁をつけてくるようになりました。
「掃除がなってない」
「三食昼寝つきが出来るのは俺が食わせてるからだ」
など、売り言葉に買い言葉で言い争っているうち、口では私にかなわないと思ったのでしょう。ある日、平手で頬を叩かれたのがきっかけで、どんどん暴力がエスカレートしました。時には拳で顔面を殴られ、まるでボクサーのように目の回りに青アザを作ったり、顔を拳で殴るので歯が折れたこともありました。しかし、悔しいことに次の日になると覚えていないの一点張り。そして昨日のことが嘘のように、とても優しく接し、ひたすら謝り続けます。しばらくお酒も控え、平穏な日が続きますが、それも長くは続かず、また同じ事の繰り返しです。
取っ組み合いの喧嘩になっても男の力にはかなわないので、怖くなって裸足のまま外へ飛び出した途端カギを閉められ、何度「開けて!」と叫んでも知らん顔され、どこへも行くところのない私は、当時住んでいたマンションの屋上に上がる階段で一晩を過ごしたりしていました。彼の母親にも相談しましたが、遠方だったため電話口で諭してもらっても大した効き目もありませんでした。それでも、普段の彼は優しい人だったので、私も許していました。結婚してから一年半が過ぎた頃、妊娠。これがキッカケになって少しは、変わるのではないか?と、淡い期待を持っていたのですが酒癖の悪さは変わらず、酒代で生活費を圧迫している状態でした。それをたしなめたところで聞く耳はもたず、妊娠5ヶ月を迎えた頃のこと。
いつものケンカで言い争いになり、拳で殴られ、髪を持って、部屋中を引きずりまわされ、逃げようとする私の足をつかみ、馬乗りになり、首を絞められました。少し頭がぼーっとしてきたのですが、このままでは赤ちゃんが…。の思いから、必死で彼の手を外して逃れ、その日も屋上へ続く階段で一夜を過ごしました。幸いお腹の子に異常はなく大事には至りませんでしたが、さすがの私も疲れがピークに来ていました。実家の母には
「楽しくお酒を飲ませないあんたが悪い」
と言われ、彼の母親に相談しても
「ごめんね。私が、厳しく言っておくから」
ばかりで埒があかず、誰にも何も相談できない状態でした。
ある日、いつものようにお酒を飲んで私をなじる彼を見ているうち、何もかもが嫌になり、洗面所においてあったカミソリで左手首を切りました。痛みはなく、流れていく血をただ見ているだけでしたが、呼んでも返事をしない私に彼が気づき病院へ運ばれました。幸い、母子共、命に別状はありませんでしたが、8針を縫う傷の跡は10年近く経つ今でも生々しく残っています。自殺未遂の一件から、彼は少し変わりました。お腹が大きくなるにつれ、父親の実感も出てきたのか、よく家のことを手伝ってくれるようになりました。しかし、やはりこれも長くは続かず、お酒の席で二度も上司を怒らせたり、お客さんを怒らせたりしたため関連会社へ異動させられ、東京にいても仕方がなくなり、思い切って辞めて実家のある福岡へと帰りました。
暴力から逃れ別居。親権があればあとは何もいらない…
彼は心機一転、酒をやめ、家族のために頑張るという決意が最初はありました。しかし、実家にいると同級生があちこちにいるせいで、やはり休日前の夜は、友達と連れ立って飲みに出かけ、二日酔いで寝込む始末。私と子どもは、いつも二人で公園や買い物に出かけ、その当時から母子家庭のようでした。地元へ戻ってからは、互いの両親の目もあるからでしょう。しばらく暴力はありませんでしたが、言い争いは相変わらずでした。そうこうするうちに、やはり手が出たのです。
私が寝ている間に外へと飲みに出かけ、明け方近くに帰ってきていきなり私を起こし
「お腹が空いたから、ご飯を作ってくれ」
というのです。それを断ると、寝ている私の襟元をつかんで起こし、畳へと叩きつけ、顔を足で踏み、
「仕事もせん!飯もつくらん!っちゃ、どういうことか!」
と。もはや、言いがかりです。その時、私の中で悶々とたまっていたものが爆発しました。子どもは、目を覚まし、泣いていました。すぐにでも、子どもを連れて実家に帰ろうかと思ったのですが、朝になり彼が仕事へ出て行くのを見届けてからでも遅くないだろうと寝たふりをして、彼が出て行くのを耳で確認してから、とりあえずの洋服だけをまとめ実家へと(車で5分足らず)自転車で帰り、そのまま二度と帰ることはありませんでした。
初めて腫れ上がった顔、腕のあざ等を見た両親は、声もありませんでした。しばらくは口の中が切れていたので、口を大きくあけることができず、食事をとるのも困難でした。それから一年の別居を経て、離婚となりました。その間も、実家へ深夜や明け方の無言電話、車での深夜徘徊という嫌がらせが続きました。一刻も早く離婚したかったのですが、そういう行為が続くため、怖くて話し合いの連絡を取れずにいたのです。
離婚は、簡単にいえば協議離婚でした。平成9年1月14日。彼の(というか、結婚生活を送っていた住居)家へ、一人で離婚届を持って、署名捺印してもらう為に出かけました。何日か前に電話連絡をして「話がある」という事を伝え、顔を合わせるのは久しぶりという状況でした。少し怖くもありましたし、緊張もしていましたが、早く穏やかな安心した日々を過ごしたかったので、意を決して出かけました。
珍しくというか、大体の予想はついていたのだと思います。さすがに、お酒は飲んでいなかったようで彼はポツリポツリと、私と子どもの近況をたずねました。私のほうは、少しでも短時間で話をすませたかったのですが、あまりおざなりにすると機嫌を損ね、署名捺印してもらえないと困るので、適当に普通を装い会話しました。そうして「今だ!」という時に
「松田聖子も離婚したことだし…」
といって、おずおずと離婚届を出しました。一瞬、こわばった表情でしたが
「やっぱり、持ってきたんか」
といったまま、黙ってしまいました。
変に声をかけて、刺激すると書くものも書いてもらえないので、ひたすら待ちました。しばらくして
「離婚してもいいけど、子どもは俺が引き取る」
と言い出しました。
「俺だって子どもがかわいくて仕方ないから、子どもと離れる気はない」
と。私は、このかなり身勝手な言葉にカチンときたのですが、ここで私がカッとなっては元も子もないと思い、冷静に穏やかに別居してから、まともに接触のない父親が、ましてや仕事をしながらの子育ては、大変だから…等、色々理由をつけて、やんわり断ったところ
「○○(子どもの名前)は、俺のこと何ていってる?」
と言われたので、私は、普段子どもが言っていたまんまの
「パパはママをいじめるから、ごみ箱に捨てたもんね!」
という言葉を、彼に伝えたところ、これにかなりショックを受けたのでしょう。
「そうか…」
と言って、判を押し署名してくれました。一切関わりを持たないという条件で、離婚届に判をもらい、養育費の受け取りは、申し出もなかったのですがありませんでした。それどころか、子供の学資保険を解約させられました。
玄関を出て行こうとする私の肩を抱き寄せようとしたので、咄嗟によけ握手で「元気で」と別れました。次の日は祝日だったので翌日の朝一番に離婚届を出し、晴れて私は解放されました。
あの関係を断ち切れたからこそ掴めた、次の幸せ
離婚後もしばらくは無言電話が続きました。家に残していた一切の家財道具は、彼の留守中に引き上げる旨を了解してもらい、タンスから、冷蔵庫から、洗濯機、テーブル、東京で生活するために私の家から揃えたもの全てを引き上げました。その夜、ろれつの回らない口調で電話をかけてきて、因縁をつけていましたが、一切無視を決め込みました。お酒を飲むと何をするかわからないので、幼稚園には別居時から、父親と名乗って迎えにきても絶対に引き渡さないで欲しいとお願いしました。幸いそこまでの勇気はなかったようで、幼稚園や子ども絡みでのトラブルはありませんでした。
現在は実家を出て、子どもと二人で県営住宅を借りて生活しています。子どもは今、小学4年生です。私に気を使っているのでしょう。父親の話題というより、お父さんの「お」の字も、出さないのですが、近頃周りにもやはり、離婚しているお友達がいるようで
「僕のお父さんは、どこにいるの?」
と聞いてきたり
「ママを叩くから、お父さんとお別れしたんでしょ?」
(これだけは、かなりインパクトが強い出来事なのでしょう)と、少しずつ聞いてきます。自分のルーツですから気になるのも仕方のないことかもしれません。
現在1年くらいお付き合いをしている彼がいます。私の両親には既に紹介済みです。先々では再婚も考えています。ようやくまた誰かと一緒に人生を歩いていきたいなぁと思えるようになりました。子どもを含め3人仲良く、今を穏やかに過ごせるのをありがたく感じています。彼は、酒もタバコもしない人で、揉める要素がないので喧嘩もしません。
風の噂で前の主人は、何回となく職を変え相変わらずの生活のようですが、私は今、結婚して離婚した決断に後悔はしていません。あのまま流されて、決断できずに自分を殺して過ごしていたらと思うと、ぞっとします。周りのたくさんの方の思いやりと愛情があったからこそ、新しい一歩を踏み出せたと思います。
東京家族ラボはネットサーフィンで、流れ流れてたどり着いたサイトでした。池内さんが大変印象深く、離婚したい女性や離婚した女性への応援が、ご自身も経験されているからこそ親身に出来るのだろうなと思います。世の中には、もっとつらく、悲しい状況におかれている女性がいて、精神的にも辛い思いをしている方も大勢いらっしゃるのを実感しています。そういった人たちのエネルギーになり、明日へのパワーにつながるのが東京ラボだと思っています。地方にもこうした活動が出来、少しでも今苦しんでいる人たちの手助けになれる場所があるといいですね。
2002年10月
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