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005
千絵さん
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35歳/女/コピーライター/子ども(4歳男)と同居
離婚時期と種類=結婚4ヵ月で別居、約2年で調停離婚成立
離婚の原因=夫の暴力、子どもへの暴力etc…
現在、離婚をして=良かったと思う
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バリキャリ人生のはずが、 出会って交際3ヵ月で妊娠発覚のできちゃった婚へ。
とにかくやりたい仕事のために30歳まで突き進んできました。ちょうど彼と交際を始めた時期に、仕事のステップアップのため念願の会社に中途入社。人生順風満帆と思っていた矢先に訪れた妊娠という転機。自分の生き方そのものを迫られました。私にとっての結婚は、「相方との人生を楽しむための選択肢」ではなく「自分の目前にある事実から逃げずに受け入れて生きる」ためのものでした。
ハードな仕事をしながら、妊娠発覚、引越し、結婚式、新婚生活、産院通いなど盆と暮れと正月と台風が一気に来て、目の回るような忙しさでした。会社でも、入社早々の社員がオメデタになったことで非常に困惑し、かといって辞めさせるわけにもいかず…で、立場的には一挙に信用も失いました。歯がゆかったけれどそれも運命と考え、とにかく無事に出産してから「仕事で見返す」ことを心に誓いました。
体力根性ともかなりあるはずの自分が、体調の変化もあってか徐々に精神的に不安定に。これまで出会ってきた男性の中でも、夫は「一番幼稚な男」でした。自信がないことの裏返しで、嫉妬深くグータラ体質。一方、何でも自分で決めて、やりたいことが常に明確な私は、そういう彼の不完全さが面白く感じたことも確かでした。これまでの人生で、「自分がしたいことは叶えられる」ものとし、かなりエゴイスティックに生きてきたため、結婚もその延長で、自分の思い通りになると考えていた節があります。
しかし、いずれにせよ経済的にも精神的にも自立できていない男性との生活は、「妊娠」という初めての試練の中では、相当厳しいものでした。もし、子どもを授かっていなければ、とっくに終わっていた恋愛です。「腹の子は、俺の子じゃないかもしれない」などという異常な言動を何度と無く浴びせられ、人間性を疑わざるをえませんでした。たぶん急激な生活の変化に対応できず、一番大切であるはずの存在すら忘れて「保身」に走った言葉なのだろうと思います。
産後2ヵ月で職場復帰、調停準備、独りの時間が甘えと決別させた。
準備期間を含め、約1年半に及ぶ調停離婚。相手と顔を合わせたのは、最後の署名捺印の時のみ。別々に話を聞かれ、弁護士同伴で調停員と1回1時間程度の話。私の場合、弁護士の方が非常に有能だったこと。調停員の2人のうち一人の女性の方が、私に好意的だったことから、解決(私の場合は、婚姻解消)のためには何が必要か?を冷静にアドバイスしていただいた。
「取るべきものは取って、新しい人生を歩いたほうが私のためである」
というのは初めから一貫した考えでした。結局、慰謝料、養育費でなく「婚姻費用の分担」という名目で、ギリギリ取れる分だけ請求。金額、タイミング、約束を守らなかった場合の罰則などキッチリお膳立てしてもらい、弁護士さんには本当に感謝しています。
結婚生活が継続不可能と思った一番の要因は「経済的に何の責任感もない人」だったからです。比較的、お給料は私のほうが良かったのですが、妊娠出産その後に関していえば収入ゼロの期間もあるし、育児にはとにかくお金が掛かります。妊娠が発覚し、引越してからも再三お金の話で揉めました。彼の意見としては
「これまでの生活を変えるのは嫌だ。お小遣いだって減らしたくない。すべて経済は折半でいこう。君のほうがいい給料とってるんだから」
家賃も光熱費も日常の買い物も、折半という形でスタートした新生活。産院の受診料さえ折半でした。一回受診するだけで5千円以上掛かることを知っても、その姿勢は変わりませんでした。何かが決定的におかしい。この人は「同居人」としてノウノウと暮らしたいだけで、「家族を支えていく」という気持ちはないのだろうか・・・。もちろん、改善するためにそうした話もしてきました。時には、私の実姉と義兄や、母親からやんわりとアドバイスすることも。しかし、幼稚な性質ゆえ、言えば言うほど臍を曲げて
「自分は悪くない」
と主張するのでした。
妊娠8ヵ月、かなりお腹も目立ってきた時期のことです。相変わらず私は、仕事と家事とつわりで疲労困憊している休日でした。その時も、朝食は食べられず横になっていました。
「朝飯くらい、作れよ!」
と言われても自分でやって、と返すのが精一杯でした。前日の残り物を音をたてて食べ
「あー、うまい。こんな上手いもの食えないヤツはかわいそうになー」
とワザとらしく言う夫にブチ切れた私は、マジメに怒りの目を燃やし、怒鳴って相手の前に立ちはだかりました。あとは、小学生のやる取っ組み合いのケンカそのものです。ただひとつ違ったのは、お腹の大きな私が大の男に髪をつかまれ、振り回されたという異常な光景。以後、彼の存在に嫌悪感をもよおし、妊娠9ヵ月で別居(相手が家を出る)するまで、まともに口もきかない日々となりました。相手はそれきり電話もかけてきませんでした。本当に「同居人」のつもりだったのかもしれません。
この離婚は、結婚よりも自分にとって乗越えるべき出来事でした。
私はこの春、長かった会社人生を辞めフリーランスになりました。経済的には不安定ですが、やっと子どもと向き合える暮らしを手に入れ、幸せを噛み締めています。この先結婚は、選択肢の一つとしてなら、できればもう一度挑戦したい。そして私にとって離婚とは、自分が自分であり続けるための背負うべき荷物。重くてもしんどくても、自分と対峙するには抱えなければければならないことでした。
一人で出産し、産後2ヵ月で職場復帰。それだけでも異常なことだったのに、離婚のための資料を準備したり、日々の生活に追われ気も狂わんばかりでした。息子が生後7ヵ月になる頃、精神的にもパンク寸前な私を悟った実姉から
「近くに空いた家があるからとにかく転居してこい」
と言われ、実家の両親も呼びよせ、一緒に住むことになりました。今は、毎月住宅ローンは抱えていますが、周囲には恵まれています。
息子はもうすぐ5歳になります。ものすごく頭の回転のいい子で、親はいつも形無しです。父親の存在は、初めから居なかったのでいないことが不思議とも思わないようです。しかし、いつかは自分のルーツを探りたくなる時が来ると思います。その時期までに、きちんと向き合って話せ、何があっても超えていけるような親子関係でいたいと、今一日一日を大切に生きています。親が先回りして色々と準備することは、かえって子どもの心を傷つけてしまうと思うから。私にとって結婚は失敗だったけれど、息子の人生には全く関係のないこと。私の生き方を見つつ自分で人生を切り拓いてほしいな、と思っています。
離婚の学校(東京家族ラボ)の存在は、離婚後インターネットで知り、自分の経験が誰かの役に立てるのであればと思い、3年ほどMLに参加しています。離婚後、再婚したい人ができ、その人との関係がダメになった時も、色々な意味で励まされました。年齢や人生観の違いはあれど、本当の意味で心の交流ができる希少なコミュニティだと思います。単に、離婚や再婚という現象面だけでの情報交換ではなく、人として何か大切なものを見出せる場。まだまだ話したいことがたくさんあるし、もっともっと人の話を聞きたい。たかがメーリングリスト。されどメーリングリストなのです。
2002年10月
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