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004
優子さん
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34歳/女/無職/子供(1歳男児)と両親と同居
離婚時期と種類=結婚1年半で別居、現在離婚調停中
離婚の原因=夫の暴力及び脅迫etc…<
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彼は妻帯者であることを隠し続け、私と一緒に・・・。
夫は、私が18歳の頃アルバイトしていた勤務先の仲間でした。2年ほど前のこと、偶然14年ぶりに飲み屋で再会。その日を境に友達を含めて食事をしたり、会う回数が増え交際が始まりました。その頃、私は仕事でのストレスを発散するために、夜な夜な遊びに出歩き、生活も不規則になり心身ともに衰弱していました。今思うと本当に情けないですが、そんな私へやさしく言葉をかけ、まめに連絡をくれる夫に徐々に惹かれました。
一緒に住み始めるまで約9か月。夫には多額の借金があり、生活態度など不安を覚えることは多々あり、心の中では不安だらけでした。結婚には私の両親からも反対されましたが、彼の強引さで引くに引けない状態になり、結局彼に従い結婚しました。実は、彼は再婚で、元の奥さんとの間に子供が2人います。付き合う前は
「バツいちやねん。」
と言っていましたが、それはまったくの嘘で、実際は離婚どころかそんな話さえしていませんでした。私が彼を婚姻者と知らないで交際が始まり、前妻は夫の様子が変なことに気がつき「浮気」がバレ、話し合った末、離婚したということです。結局、そんな流れで再婚しないではいられない状態になったのではと思います。
結婚生活が始まり、二人で頑張って借金も返済して…と前向きに生活していましたが、2か月経った頃のこと。うっかり処分せずにいた私の古い手帳を彼が見てしまい、昔の彼とのいろんなことが書いてあったそれを読んで半狂乱になり、家のガラスは割る、携帯は折る、殴る蹴る、私の車の窓ガラスをかなづちで割るなど、暴れまわりました。私の手足はアザだらけになりましたが、話せばわかる人だと信じて、謝り続けました。その一件をキッカケに彼は豹変しました。「お前はなってない。わしが教育する。わしにたて突くな。服従しろ。」まだ現実が見えてなかった私は、とりあえず彼に従いました。私が彼中心に生活を送っていると満足のようで平穏な日々が続き、そうこうしている内に妊娠、出産に至りました。
子どもが生まれて育児に追われ、私がそれまで疎遠だった実家に頻繁に出入りするようになると、今度は暴力ではなく脅迫へと変わっていきました。言い合いは絶えず、離婚の言葉が出ると
「お前は一生飼い殺しや。離婚なんかしたれへん、出て行きたかったら行け。そのかわり一歩出たら知らんで、お前の実家、仕事場、姉ちゃん、弟全部無くなると思え。お前らには手は出さん、そのかわり何もかも無くなるからな。ヤクザと結婚したと思え。わしは手を下さん。電話一本で終わりや」
彼は私の家族が嫌いらしく、彼の母親と一緒になって私の両親、姉夫婦等の悪口を私の前で延々と話します。そこで私が家族をかばうような言動をすれば、夜中でも姉夫婦の所に電話したり、私を罵倒します。ある時私の態度が気にいらなかったらしく、子どもを抱いている私を引張り回し、壁にぶつけられ、あわや子どもの頭が柱に…。私さえ我慢すれば…と思って生活してきましたが、被害が子どもに及ぶのは許せず、(彼曰く、子どもに手を上げたことはない、おまえが子どもを抱いてるから悪い、お前が子どもを楯にしてるんやと…)子どもを守るためにも、私が家を出ました。
親権にこだわり、話し合いにならない暴力夫。
別居2か月後、決着をつけるためいったん夫の元に帰りました。彼は
「すまなかった。二度と暴力は振るわないし、脅したりもしない」
と言ったにも関わらず、その3日後に携帯を叩きつけて割る、連日連夜、包丁を持って脅し続けました。連絡の取れない私を心配して姉が家に来て、結局私はとりあえずの荷物を持って実家に逃げて帰りました。このままでは怯え続けなければならないと思い、いざという時のために警察に被害届をだすため調書をとってもらいました。
その日の夜。彼と彼の母、そして内縁の義父に実家へ来てもらい今後の話し合いをするつもりした。(彼と二人では怖いので親に一緒にきてもらったのですが…)もちろんスムーズにいきませんでした。彼の母親は妄想癖のあるとても恐ろしい人で
「お前が息子の家庭を壊して奪ったんや」とか
「私が嫁にいびられていた」
「お前はノイローゼや、子どもを虐待してる。近所の人はみんな言ってる」
など、罵詈雑言を繰り返しました。話が通じないという点で、彼と義母は非常によく似ている親子だと思います。結局、第三者を立てると言うことでお引取りを願うと
「孫をだせ。お前はただ産んだだけの人間やから関係無い。孫は渡さない。お宅(私の両親のこと)と違って私は若いから育てられる。お宅は無理や」
といって帰ってもらえず、警察を呼び、署で話をすることになりました。
警察の方がいくら説得してくれても彼は聞かず、私と子ども二人は母子寮(一時避難シェルター)にお世話になることに。そこから戻って、調停の申し立てをして現在に至ります。弁護士も紹介してもらい話をしに行っても、なんのアドバイスもありませんでした。調停員の人たちにも引けるとこは引いて、要求を通さないといけないと言われ、と言っても慰謝料も無理、養育費も無理、ただ私は離婚と親権のみが希望なのに、夫は
「離婚は仕方がないが、親権は欲しい。無理だったら50万よこせ、それで離婚してやる」
と言っています。調停員の人も
「新しい人生のため、こんな人に関わるよりお金を払ったほうがいいのでは?」
と言います。しかしながら職もなく、実家は商売をしていてもこの不況では経営も芳しくなく、結局どうすることも出来ずに、間もなく最後の調停を控えています。当分は別居のまま、彼の嫌がらせで離婚も出来ず中途半端でいることになります。噂では現在彼は、元の妻子の家に戻っているらしく、楽しく暮らしているそうです。
幼い子と生きていくために今・・・
ただいま就職活動の真っ只中。2年のブランクがあり難航してます。私の貯金も全て使い果たされてますのでお金もなく、実家の居候になっています。両親は何も言いませんが肩身が狭く(何の恩返しも出来ないから…)ツライです。ありがたいことに、周囲の皆は私達には好意的で応援してくれます。夜、恐怖に怯えずに寝ることが出来るのは幸せです。
もし子どもが生まれていなかったら、私はいまだに何も気付こうとせずにあの恐ろしい家にいただろうと思います。我が子を片親にしてしまったけど、一生をあの夫と過ごさない決断をさせてくれたことに感謝しています。あんな人間にならないように私が親として精一杯の愛情を注いで、この子を守り育てていきたいと思ってます。
東京家族ラボのことは、調停が始まり何の知識もなく八方塞がりで困っていた時に、無料の法律相談をネットで探して偶然発見しました。池内ひろ美さんはテレビでも見たことがあったので、ホームページで同じような立場の人から意見が聞けるのかなと思い、今回「あなたの離婚」についてのアンケートに答えました。タイミング的には少し遅いのかもしれませんが、精神的にかなり助かりました。
この先まだ調停は続きます。たぶん時間は掛かるでしょう。でも、頑張って闘ってみようと思います。この東京家族ラボに出会わなかったら、泣き寝入りであきらめていたかもしれません。勇気が出てきました。ありがとうございます。たとえ慰謝料、養育費は無理でも、私が彼にお金を払って別れていただく、なんてやっぱりおかしいと思います。頑張って離婚し、親権を取りたいというのが今の気持ちです。
2002年10月
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