|
003
愛美さん
|
40歳/女/コンピュータ技術者/子ども(中1・小3)と同居
結婚12年目で協議離婚/性格の不一致・育児の方針の違いetc...
現在、離婚をして=良かったと思う
|
幸せな家庭を築こうと頑張りすぎた結婚生活
実家の両親の不和を見て育った私は、早く自分の「家庭」がほしいと思っていました。彼とは社内恋愛で2年ほど交際し、26歳の時に結婚。私は会社を辞め、専業主婦に。子ども産んでからは平穏な生活でした。どこの家庭にでもあるような他愛ないケンカは多少ありましたが、それが決定的な破局原因になることはなかったのです。
彼は言いたいことはハッキリ言わない人。よくいえば温厚な性格でしたが、何か気に入らないことがあると自分の内側に怒りを溜め込んでしまい、口もきかない。暴力やギャンブルとは無縁でしたが、意志の疎通が図れなかったり、存在を無視されるのは辛かった。平穏な生活が狂いだしたのは、2番目の子どもが生まれた頃。彼は新しく事業を興すためピリピリしていました。二人とも実家が遠く、親は頼れないので、
「子どもが二人になったら、夫の育児協力は不可欠」
という友人のアドバイスを鵜呑みにした私は、彼に育児への積極的参加を望み、色々頼りにしてました。しかし、
「僕が手伝うのは簡単だけど、そうしたらキミは何もしなくなってダメになる」
と言って、進んで協力はしませんでした。
そして上の子が、小学校へ上がり「夜尿症」と診断されたことが引き金になって、育児の方針の違いが露呈しました。私は医者にも通いましたし、ネットで情報も集めました。あれは精神的なことが直接原因ではなく、抗利尿ホルモン分泌障害など身体的要因を含む病気なんです。だから叱ったり、夜叩き起こすことなんて親の自己満足でしかない。なのに、彼は聞く耳を持たず、子どもへ怒鳴り散らし、体罰することもありました。私が何かいうと「俺の方針に逆らうんだな。もう口出ししないぞ」といって、コミュニケーションを絶ってしまうのです。
彼の口から「もう疲れた。俺は生きたいように生きる」というような言葉が出始め、それから数年会話のない生活に。一体何が不満かわからず閉塞感しかなく、未来の展望を描けない中「離婚」を意識し始めました。
別居後、宙ぶらりんの状態に苦しみ続け再同居し・・・
結婚12年目に協議離婚するまで実は1度別居を経験しています。私の場合、離婚に伴う手続き上の期間は半年くらいでしたが、事がそこに至るまでの経緯が長かったのです。別居したのは、結婚8年目。それに伴い、私は会社勤めして稼ぐことになりました。私が「このままじゃいけない」「まだ家族としてやっていける」と中々吹っ切れず、何とか話し合いの突破口を見出そうと試みても、彼は「離婚する」の一点張り。そんなやり取りが2年間続きました。月に一度は、子どもたちと一緒に彼の家に泊まりにいったりもして「どこにでもいる家族」のようでした。でも、私も彼もこうした中途半端な関係に苛立ちながらも踏ん切りをつけられずに、心は葛藤し悩み続けていました。
その別居中に私の実母が亡くなり、彼や彼の両親も葬儀に駆けつけてくれました。別居はしていても戸籍上は夫婦でしたから、身内が亡くなって大変な時に、お互いに相手を思いやる気持ちがまだ残っていました。それがキッカケで、また家族4人一緒に暮らし始めましたが、私のことはやはり一人の女性としてではなく、単なる「子どもの母親」としか存在意義を認めませんでした。その頃は、私は勤め先も変えて残業こそしませんがフルタイムで働いてました。子どもが病気になれば、会社を休まねばならない。そんな状況をわかっていても、彼は協力しようとはしませんでした。
同居後1年くらい経つと「家庭内別居」同然でした。家族4人で食卓を囲んでいても、
「お母さんは、夏休みにどこか出かけたいと思っているのかなあ?」
などと、目の前に私に語りかけず、子どもを通してしか会話をしようとしませんでした。休みの日も彼はずっと寝ていて、夜中に起きて私たちとはすれ違いのまま。決定的な何かはない分、坂道をゆっくり転げ落ちる石のように、徐々に悪い方向へ加速していった感じです。
結局、ささいなことがキッカケで彼が切れて、判を付いた離婚届けを渡され同居は続けました。その頃の私は以前のように「家族として何とか」という思いはなく、正直な話、離婚届けに、ほっと胸をなでおろしました。以前から話していた「財産分与、面会、養育費」などについては、彼が調停に応じなかったため、人をいれずに二人で緊迫した話し合いを重ね、なんとか合意に達しました。信頼をなくした夫婦とは、これほど話がこじれるものかと思いました。
家族を守ってもらうのでなく、私が守っていきたい
彼は元4人で暮らしていた住まいに1人で、私は子どもが転校したくないという意向を汲んで、元の家から徒歩10分圏内の所に移って子どもと3人で暮らしています。彼の所へ子どもたちはちょくちょく出かけます。養育費は毎月支払われています。それについては感謝しています。仕事はしていますが、私だけのお給料だと親子3人で暮らすには、つましい現状です。
下の子のほうが彼を慕っていて
「お父さん一人でさびしくないのかな」
「どうして一緒に住めないんだろう」
などと言うことがあります。子どもにとっては、どんな親でも父親ですから、私も彼の人格を否定するようなことは絶対に言わないようにしています。お父さんもお母さんも、あなたたちのことを大切に思っているということを伝えるようにしています。
結婚とは、お互いの違いを認め合い、求め合っていく関係だと思うんです。この先、再婚の予定はありませんが、そういうのが理想ですね。離婚するという踏ん切りをつけるまで、私は長い時間が掛かりました。その間、家族も振り回してしまったけれど、それだけの時間は必要でした。中途半端なまま、彼に離婚を押し切られていたら、自分に自信がもてないままだったと思います。自分で決めた結論は責任をもって受け止めてゆく。離婚の決断は、私に大きな力を与えてくれました。
今は、離婚した苦しさを乗越えたくて、東京家族ラボの「喪失ワーク」に参加しています。私自身はもう吹っ切れたと思っていますが、子どもたちの影響を考えると、まだまだ離婚を過去のものとして捉えるのは難しいのです。これからは、家庭の問題を断ち切って、子どもたちを幸せにしていくこと。そして私も過去を乗越えて幸せになること。子育てや離婚を経たからこそ、私は結構強くなれたのだと思っています。
2002年9月
|