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002
由佳さん
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37歳/女/経理事務職/子ども(小5女・年長女)と同居
●離婚時期と種類=結婚9年目で調停離婚
●離婚の原因=夫の浮気etc...
●離婚をして=良かったと思う
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子どもをもって身に沁みた夫の幼稚さ
カラオケパブのバイトをしていた時に、店に出入りしていたお客さんとして夫とは知り合いました。一人息子の彼はやさしくて、すごく私思いでした。恋人時代、私は彼のことを時々疑問に感じ、別れたほうがいいと思ったこともありました。でも、彼の父が難病を患っていたので生きている間に親孝行をという思いもあり、交際4年の25歳で結婚。すぐに長女を出産。社会で働く経験がほとんどなく、そのまま専業主婦に。夫とは特にケンカをしたこともなく、関東近県の田舎町で平穏に暮らしていました。
そんな中、私の父が腹膜炎で入院し、長女もまだ1歳の赤ちゃんでしたので、車に乗せて東京の実家まで走って見舞ってきたいといったところ、
「車を乗っていかれると、僕が困る。雨が降ったらどうするの」
おまけに私は4人兄弟なので
「一人っ子と違って、心配が4分の1で済むからいいよなあ」
などといわれました。兄弟が何人いようと子どもにとって親は一人なのだから心配であることは変わらないはずです。その出来事によって、彼はやさしいのでなく、単に幼稚なのだと感じました。交際していた頃の疑問が、確信に変わったのです。
結婚生活は、生活費もきちんと入れてくれましたし、経済的な管理は私が握っていました。私は化粧水一本買うのだって迷うくらい、働いて稼いでいる彼のことを大切にしていたのです。交際関係も乏しく趣味もこれといってないマジメ人間でしたから、独身時代は「私」との交際が唯一の趣味だったのかもしれません。今になって思えば、結婚後は「H付きの母親」を求められていたのかもしれません。
第2子出産のため数ヶ月、私が実家に戻っている間に、彼は会社の後輩と深い仲に。次女生後6ヵ月頃、あまりにも態度がおかしいので聞くと、あっさり不倫の事実を告白されました。
「長女をつくるのは早過ぎた」
「次女はいらなかった」
「離婚してほしい。子どもをよろしく」
など勝手な言動ばかり。しかも、離婚するには慰謝料や養育費なども必要で簡単なことではない、という話をすると、初めて知った事実らしく驚いていました。それどころか自分のしていることを正当化するため、私や子どもたちを否定するような言葉の暴力に泣かされました。この事件がショックで、私は2週間で9キロも体重が減り、倒れてしまい実家に戻りました。
浮気そのものより、 彼の心が家族に向いていなかったことに苦しみ・・・
同僚に不倫が知られ、会社にいずらくなった彼は転勤を申し出て異動。愛人は退職して付いていき同棲が始まりました。実は、私の友人の知り合いが彼女と遠縁で、聞きたくなくても色々と耳にしました。同棲の事実を私が知らないと思っている夫は、あくまでも私に非があるから別れたいと主張したのです。
別れたと言いながら、仲が続いていた二人。私は妻の権利として、愛人に慰謝料を請求できることを知り、夫に伝えました。彼女から
「奥さんに慰謝料を払うので1年待ってほしい」
といわれたので、1年後(別居からは2年経過)に、慰謝料をもらってから離婚の話を進めると伝えました。愛人の母親から
「娘はもう関係ないという内容の念書を書くなら支払う」
という筋違いなことをいわれたので
「払わないなら、申し立てを行う」
と告げると、すぐ支払える額を用意してきました。法律に無知なだけに、裁判が怖かったのだと思います。
「彼女を本当に好きなの?恋愛感情に浮かれているだけ?どっちなの?」
と問い詰めたこともあります。また、愛人から電話で
「私とセックスしたのに許せるのか」
という問いかけがあったので、何回セックスしていようと問題ではないと答えました。慰謝料について彼に聞くと
「彼女に聞いてみてくれ」
といって、目の前で私に電話を掛けさせたこともあります。普通、愛している女のことをかばったりするものだと思いますが、そういう意識が見られなかった。夫は、本当のところ愛人をどう思っていたのか疑問です。責任逃避というか、幼稚なんでしょうね。別居中に突然、生活費が減額されて振込まれた時も、聞くと
「彼女のお母さんが、別居中の妻になんか生活費を払わなくていいというんだ。どう思う?」
などという始末。私は乳飲み子も抱え、体調も崩して働けない状況は十分わかっているはずなのにです。
自分の意志がまるで感じられない人で、話し合っているうちに結局
「そうだよね。僕が悪かった」
となる。自分のことしか考えてなくて、周囲のことがみえてないんですね。この頃、上の子がひどいチックになってしまったんです。自分が嫌われているから私たち夫婦が別々に暮らしていると胸を痛めていたようで・・・。彼は、そういう事実を知っても向き合わなかった。子どもに対するそういう愛情の薄さも、離婚を決意させる大きな要因でした。いざ離婚するとなると、私や子どもに未練たっぷりでしたが、知らぬふりをして調停を申し立てました。養育費や慰謝料を正式な書面に残しておきたかったのです。無事たった一度だけで成立。最終的に、私には全く非が無く、自分の身勝手でこんなことになってしまった、と反省の言葉を伝えてきました。
先のことよりも、今を大切に生きたい
私は仕事を続けていますが、体調を崩して通院中です。離婚したことは全く後悔していません。自分を見つめ直すことができた良い経験だからです。これからの人生、この経験を踏まえてしっかり歩いてゆきたい。でも、夫に嘘や裏切りを重ねられたためか、男性不信気味です。妻帯者でありながら私に貴金属をプレゼントしてくれたり…という人もいましたが、そういう人と恋に落ちることも嫌。誰かと再婚することは全く考えられません。
先日、彼から連絡があって会ったところ
「子どもたちの将来の教育費を払わなくていいようにしてもらえないか」
という話でした。もちろん取り決めたことだし、彼のほうが収入はあります。私は病気抱えても働いて、お昼代もないから家でご飯炊いてお握りつくって持参する生活なのに、バカいわないで!という気持ちです。会社の収入で足りないならバイトしてでも、子どものために払うのが親の役目。
「食べるのに困るようになったら、また相談して」
といったら納得して帰りました。そんな父親でも、子どもたちにはたった一人の存在ですから、嫌いになってほしくない。いつでも自由に会って話せるような環境はつくっています。
自分でもわかっているのですが、周期的に鬱になります。1ヵ月くらい泣いて暮らしたり、子どもたちに言葉で当り散らしたりしちゃいます。実のところ、あんまり長生きしたくないんです。子どもたちが成人したら、ポックリ死にたい。太く短く(笑)。将来のことは思い描けませんが、一日一日を必死で生きています。
東京家族ラボは、立ち上げ当初からメーリングリストに参加しています。なかなかメールを書くのも大変ですが、DVの方の話など読みながら何とか乗越えられることを祈っています。文章を書いているうちに、自分の書きたいこととずれていってしまうようで・・書くのは、なかなか難しいです。私にとってラボは、パニック状態から抜けられないでいる時、本当に大きな支えでした。
2002年8月
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