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昼ドラ倶楽部
目次 
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どっぽさん
60歳/男/会社員

結婚当初の様子

私は第二次世界大戦が終わった後に生を授かった世代、いわゆる「団塊の世代」でももっとも古い方の年齢です。元妻は3歳年下でした。この世代の親は、自分たちが育てられた価値観とは異なった新しい見方と価値観を希望と戸惑いの中で受け入れ、その下で子育てを進めてきました。そのために団塊の世代の恋愛観、結婚観は、その時代の教育やマスメディアの流れにそって形づくられていました。

結婚するにあたって、元妻と私の約束は、何事も話し合って解決すること、家事を分担することなどでした。二人目の子供が生まれるころまでの私の仕事は、海洋の地質を調査で、短い期間で2週間、年間100日ほどの出張がありました。調査・研究課題が盛夏の海洋環境であったため14年間夏休みをとることができませんでした。また、連休もまともに休みをとることができませんした。そのような労働条件でありながら、さらに労働組合の役員であったために、元妻は母子家庭のような状態で、働きながらの子育てを続けていました。私の方は、帰宅が夜半になったとしてもオシメ洗いや夜中のミルクあげなどの援助をしてきました。休日には、できるだけ食事をつくるようにしました。

お互いの事情を話すことを夜中の2時ころまで続けたとしても、なかなか現状を変えきれず、お互いに睡眠時間を削っての生活が続きました。元妻にとってこの頃の生活が重く心のしこりとなり、夫婦の絆のレベルについてある限界を感じ、それ以上の踏み込みやめたと思われます。


結婚後15年ころの様子

三男が生まれるころ、私の父が退職する時期と重なったために、私の方で両親のために近所にマンションを購入し、三男と二男を保育園の引き取りと、子供たちへ夕食などを依頼しました。両親は、元妻が仕事を続けることにも理解を示し、快く引き受けてくれました。私は毎朝、三男をおんぶし、二男を荷台に載せ自転車で保育園へ送って行きました。

長男が中学校に上がり始めてから、三男が高校を卒業するまでの13年近く、朝食と弁当の準備は、出張していない限り主にわたしの仕事でした。元妻が管理職になると夕食についても、当番制を採用し、週2回程度は、残業があれば、自宅に持ち帰り、午後8時までに私が夕食を作るようにしてきました。

このような私たちの生活スタイルを知っていた近所の友人は、私たちの夫婦生活をモデルや目標にしていたとのことでした。息子たちも、なんでもよく話し合っている両親と見ていたようです。三人の息子とこれらの近所の方たち、そして海外の友人にとって、元妻との離婚については、信じがたいこととのことでした。

お互いに仕事をもっている場合に、話題は仕事の仕方や職場のことになりやすく、意外と肝心の家族の問題での話題がでないことがありました。また、息子三人であったためか、子供に学校の様子などを話す機会がすくなかったように思う。ダイニング・ルームにはTVを置かずに、家族で話をするように努めたつもりいました。しかし、共働きからくる多忙さから、親の方が一息つけるのはいつも夜10時過ぎになっていました。二男が小学生のころ、外遊び好きの彼が夕食時になると、睡魔を襲われ、箸をもちながら寝てしまうことが度々ありました。こんな時、仕事と家庭とのジレンマに悩み、せつなさを感じました。


元妻の不倫の発覚

元妻の不倫はその不倫が発覚するほぼ1年前から始まっていたようです。多分、元妻との銀婚式の記念旅行にヨーロッパに行った直後ぐらいからとも思われます。元妻なりに、自分のだけの人生設計を描き、私の友人と菅平に旅行にいった自動車の中で、「私は彼彼とこれから一年ごとの契約結婚にしようと考えているの」と言い出しました。元妻はその時代ごとに、先端をいっていると目される結婚観に容易に影響を受ける性格であったのではないかと、今、思います。

そのように思うのは、元妻が不倫を続けている時に、愛人交わしているメールの中に出てくる、「ぼくらは『失楽園』のようだね」とか、「『妻』を続け家庭を守り、一方で愛人との『愛』に生きる新しい『大人の恋愛』」などの表現であり、これらの中に見られる恋愛観、結婚観のほとんどが婦人雑誌やマスコミで取り上げていたトレンドの結婚形態であったからです。

元妻が親会社からの出向社員との情事を進めていたことが発覚したのは、元妻がこの社員に宛てた電子メールが食卓に置いてあったことからでした。元妻がこの男性の宛てたメールの中には、「死ぬ前にあなたに出会えて幸せです。」とあわせて、「あなたの本当の心を聞かせ、」と相手の心を図りかねている様子も書かれていました。

元妻の会社には、キャリアー・ウーマンと称される独身女性も多く、彼女たちは、元妻に対して「恋愛を楽しみなさいよ」とかを会話として交わしていた。企業倒産とか社内規範とかが弱いマスコミ界であったことも元妻が不倫への道を進み易くしていたとも思えます。

落ち込みの始まり

元妻の不貞が発覚した当初の私の反応は、元妻を祝福するようなメールを出張先から出すような不安定な心理状態でした。その後、まもなく落ち込みが始まりました。仕事が手につかなくなり、事務所の隣にあった産業心理学関連の研究所所長の紹介でサイコセラピストを尋ねました。このサイコセラピストをほぼ月2回程度の頻度でたずねました。さらに同じ時期に父が危篤になりました。そのような事態に出会っても、家族には私の事態を話しすることを控えていました。父の葬儀後、弟が「兄貴は幽霊のようで、なにかおかしい、」と質問をしてきましたので、この弟だけに理由を話しました。

その後も落ち込みは激しくなり、外因性神経症といわれるうつ的な状態になり、すこしの薬と心理療法を合わせた治療を受けるようになりました。薬は2ヶ月ほどで終え、後はもっぱらイメージ療法的な手法のサイコセラピーを受けました。1年ほど経て、自分が遭遇した事態が客観的に見ることができるようになったとのことで、主治医から、弁護士に離婚手続きを依頼してよいとの許可をもらうことができました。

家族ラボとの出会いと元妻の不貞相手との裁判

このころ家族ラボを訪ねました。自分の離婚をどう見るのかのヒントは町沢先生の「君は捨てられた、」の一言から始まり、草柳先生の元妻からの精神的なドメスティク・バイオレンスの視点など、多くを学びました。元妻の電子メールを発見した当初にたずねた弁護士はほぼ1年間、辛抱強く私の決意が固まるのを待ってくれました。

まず、裁判は元妻の相手である男性を地方裁判所において、不貞以上の人間の尊厳を傷つける行為であることを、証拠である電子メールを歴史的な経過を追って訴えました。この男性は、元妻に対して、会社での立場を利用して、表向きは妻子ある立場でありながら、「お茶のみ友達になってくれ、」と誘うなどし、次に、私が、残業を持ち帰り、早く帰宅し子供たちに夕食を作っている場合でも、残業があると偽りの報告をしながら、職場内やホテルで密会を頻繁に重ねていたました。そして、事態が発覚すると、元妻と自分の社会的な保身のために、うつ状態にある私を翻弄させるために、元妻にさまざまな対策を行うように指示をしてきました。その後、私が元妻にこれらの行為を批判すると、元妻は「正当防衛よ、」と切り替えしてきました。

この裁判は、相手の男性が出頭する可能性が少ない中で、夫婦で修羅場を見せるような形で裁判をすすめる道を選ぶことは、裁判長の心象を悪くするとのことと、慰謝料の面では実質的に同じになるという、弁護士の意見で、和解で決着することにしました。今考えると、元妻との離婚訴訟も和解ですませたことなどを含め、この時点で、一定のモラル面での判決をもらっておいた方がよかったのではないかと思っています。

元妻との離婚調停

この裁判の後、元妻との離婚調停を家庭裁判所に申請しました。元妻側は、元妻の不貞は、すでに元妻の方は私との精神的結びつきに破綻を感じていて、その経過の中で起こったものなので、海外で採用されている破綻主義に考えれば、不貞にあたらないとの論法を使ってきました。その一方で、財産分割を拒否し、共同名義となっている財産を含めて、財産の分割を徹底して拒否し続けました。その結果、家庭裁判所での調停は不調となりました。

元妻の不貞が発覚してから数ヶ月後、平気で不貞を続ける元妻との同居は、落ち込みの治っていない私にとっては耐え難いものでした。正常な判断がしきれない私は元妻との別居を実現するために、愚かにも元妻との共同名義で中古のマンションを購入し、そこで一人の生活を始めました。その後落ち込みから回復するにつれ、私が旧家を出ることへ疑問を感じ、元妻で「あなたこそ、旧家を出るべきだ。」との主張ができるようになりました。その結果、元妻がこの中古のマンションに住むことになり、その後の離婚調停中の約2年の間、私が旧宅に住み、三男の世話をしつつ二男との三人で暮らしました。三男は大学受験を控えていた時期のころのことでした。

転居

家庭裁判所の調停が不調となり、なにも規制がない段階になると、元妻は隣接敷地内にある自分の父の所有家屋に移り住む準備を始めました。大学に合格したものも、もう一年浪人し、志望校をもう一度目指したいとしている三男に了解をしてもらい、私は旧家から出て、一人で暮らすことにしました。このころ、私の方は、家族ラボのメーリング・リストで知り合った女性と交際を始めるようになっていました。そのことから、新しい住まいも、その女性との交流が可能でかつ通勤に便利な場所を選択しました。

この女性からダイレクト・メールをいただき、その後さらに親密さを増すような段階になって、そのような交際が離婚調停中であっても、離婚訴訟へ影響はどのようになるのかを弁護士に相談しました。弁護士の意見として、元妻との関係はすでに元妻の不貞が原因で破綻していると考えられるので問題はないとの見解をいただきました。 さらに、この交際は、私自身の次への人生を築く上で大事なことなので、大いに進めて結構との助言をいただきました。その後、離婚裁判の中では、元妻は、この女性と私との交信メールの写しを証拠として持ち出し、自分の不貞と私の交際を同列視するような論法で反論してきましたが、この主張はまったく裁判では受け入れられませんでした。

離婚調停から裁判へ

地方裁判所での裁判は、家裁の翌年開始しました。50ページ近い陳述書と、十数ページの相手の弁護士の反論に対する再反論などを通じて、相手の論拠を論破することができました。裁判長が、相手の弁護士に対して、「まじめに相手の提案に対するそちらの考えを提案するように、」との指導が示された後、二ヶ月ほどして、突然相手側から、調停案が提示されました。内容は、1)慰謝料200万円、元妻は他県の地方裁判所で行われた相手の男性が払うべき慰謝料の多くを負担したので、こちらでの慰謝料を軽減して欲しいとの要望が付記されていました。2)財産分割問題は、別途話し合う。3)三男の親権(この時点で三男は2ヶ月後に成人し、親権問題はなくなる。)を元妻側に渡す。ことが提案されてきました。

元妻の不貞をどう見るか

この時点で明確になったことは、元妻側は、もっぱら血縁主義であり、財産を「xx家」として継承されればよいという明治憲法に基づく家族観に依拠していることが明確になりました。さらには、「わたしは家族とくに男4人のたまに犠牲になった、」嘆き叫びなららも、最終的には、ひとりでは生きることはできないと旧家屋とともに息子との同居を求める「自立しえない」元妻の姿がありました。

相手の男性が私ばかりでなく、元妻の人格を冒涜しているとする根拠は、この男性が元妻の「自己愛人格」的な面を十分知りつつ、元妻の性的な魅力をことごとく利用したことにあります。相手の男性は、地方裁判所で、この不貞は、元妻と私の夫婦関係の問題から発生したものであると主張し、本人が当初行った元妻への本人自身が自発的に行った行為を否認しようとしました。しかし、本人自身がしためたホテルや職場内で行っていた性的な行為が明らかになる中で、この論拠も破綻しました。

元妻がこの男性との出会いを、この男性と出会うことのために自分がこの世に生を受けたと思うぐらいに心情となる例は、心理学者斉藤学氏が著した本にも、ほとんど元妻と同じパターンで描写されています。元妻の不貞が発覚し、その後の資料の分析から判明したことに中に、元妻の心理的な異常さ思い浮かびました。ひとつは、性的なものに異常に興味を示し、エアロビックさえも、これはセックス体操だと言い。寝室でのアロマセラピーに懲りだし、音楽もその種のCDを買い集める。さらに、書籍も、更年期を控えた女性が「女性性」をまっとうするのは今の時期しかないことを強調するようなもの、さらには不倫を進める本などを読みはじめていました。そして、ホルモンと性に関する本にまで発展していました。

その後、これらの本の多くが相手の男性からの推奨書籍であり、また同時に、この男性との関係での中で、これらのCDやアロマセラピーも利用していたことが判明しました。

元妻にとっては、私との結婚生活は、女性としての生き方をまっとうする上での一里塚にすぎなく、それは「妻の役割を果たし、子育ての時代」として位置づけ、その男性との次の時代は「愛とバラ色の時代」としていました。事実、私が弁護士に離婚調停を依頼することを決意した旨を元妻に伝えた時に、元妻は「私のバラ色の人生を壊すつもりなの!」と叫びました。

昨年の7月に地方裁判所で離婚の和解が成立しました。しかし、財産分割は、相手が再び簡易裁判所に調停を申し出たために、この地方裁判所での問題とは別個に、調停を開始せざるを得なくなりました。元妻の不貞が発覚からすでに5年を経過しています。元妻が不貞を初めてから7年以上を経過しています。

MLへの投稿とそこでの出会い

私の少年、青年時代は父の仕事の関係でふるさとと言うものがありませんでした。そのため、結婚し、子供をもった時点で、子供たちにふるさとをつくり、自分もその地をふるさとにしようと決意しました。そのことから、地元の地域活動や、PTA活動にも努力しました。しかし、今回の離婚に遭遇し、このふるさとをすてる決意をしました。この地での軌跡とそこで培った地元の方との人間関係を失うことは、私の中では深い喪失感となって残っていました。

家族ラボを通じて入会したMLに投稿することで、私自身の考えかたを整理し、また同時に自分自身を元気づけることができました。難解な私のメールに深く共鳴した女性との出会いが、その後の私の人生を大きく変えました。私自身は、離婚ができ、そして孤独な生活をしばらくした後、あらたな自分発見の道を歩むつもりでおりました。この女性とメールを交換している内に、年齢の壁を超えて共感できる多くのことがあることに気づきました。そして、その方との会話を通じて、次の人生への具体像も見えてくるようになりました。

新たな家族への挑戦

その女性には思春期を迎えているお嬢さんが二人いました。そのような方との再婚は、とても困難であるとの周りから助言もありました。このことが困難なのか、この課題を乗り越えることが、次の人生の源になるのかは、自分次第であると思うようになっていました。最初は食事をともにすること、家族として公園で遊ぶことなどか始め、思い切って、スキーに家族で行くことを提案しました。スキーを通じて、お嬢さんたちも少しずつ私に打ち解け始め、彼女も苦手なスキーに快く挑戦してくれるようになりました。その後は、家族を私のマンションに招待し手作りの料理で会食したり、お嬢さんに料理を教えるなどしながら、交流を図ってゆきました。

私の息子たちには、元妻との離婚が正式に成立しない時点での彼女との交際については、離婚調停開始時には話せなかった経緯と私の心に葛藤と立ち直りについても説明をし、理解を得るようにしました。

結婚式と私の宝物

昨年の11月に結婚式には相手に女性のお嬢さん二人、そして私の息子三人と長男の妻と娘(2歳の孫)と二男の恋人に出席してもらいました。この式に先立ち、彼女の故郷に挨拶に参りました。彼女の母は、最初は彼女が私との不倫関係にあった末、結婚するようになったとの誤解をしていたようです。そのことの訂正を彼女にしっかり伝えて欲しいと要望しました。私の家族には、彼女とお嬢さんを交えて会食の席で紹介しました。

特に三男と二男には、結婚式の3週間前に、一泊で箱根の温泉を楽しみ、露天風呂につかりながら、父としての私の思いを伝えることができました。この時、芦ノ湖の前で、二男の恋人に撮ってもらった二男、三男、私がならんで写っている写真が今は私の宝になっています。もちろん、孫と息子、娘の全員が写っている結婚式の写真も同じく私の宝物です。

2007年5月
文責:どっぽ

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