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【裁判で認められる離婚とは】 「有責主義」から「破綻主義」へ
日本の離婚は、「有責主義」といって、どちらがどれだけ悪い原因を作ったか、どちらにその責任があるかによって、離婚が法律で認められたり認められなかったりする。だから、今までの離婚では、愛人をつくって何年も家に帰らなかった夫が離婚したいと申し立てても、裁判所はこれを認めなかったという長い歴史がある。
これは「有責配偶者からの離婚請求」と呼ばれるもので、ようするに、勝手に愛人をつくって勝手に家を出ていった、それがまさしく離婚原因となるだろう、その原因をつくった側の、加害者であるはずの夫が離婚を申し立てする、という意味だ。その場合、被害者であるはずの妻を守るために離婚は認められなかった。
しかし、時代の移り変わりとともに、と言うべきかどうか、こんな判決が下された。 別居36年間を愛人と暮らした夫(当時74歳)が離婚を拒み続ける妻(当時70歳)に対して何度も離婚の訴えを起こし、何度も棄却され、ついに87年最高裁で、離婚を認めるという判決が下されたのである。
もちろん、別居が長期にわたり、未成熟の子供がいない、相手が過酷な状況におかれない、という要件を満たしたうえでの離婚成立だった。
ようするに、『たとえ有責配偶者からの離婚請求であったとしても、夫婦関係が破綻していると見られる場合は、有責配偶者からの請求だということだけで棄却することはできない』と判断されたわけである。これは、日本の離婚歴史の中では飛躍的な進歩だろう。
誤解のないよう付け足しておくが、この場合、離婚を拒んでいた妻というのは、夫に対する愛情から別れることを否定していたのではなく、怨念に近い嫌がらせとして籍を抜くことを拒否し、相手の幸福を阻んだだけでしかない。そんな人生を30年以上も送ってきた彼女自身は幸せだったのだろうか。
もっと早い段階で法律が離婚を認めていたなら、彼女は70歳となる前に、もしかすると40歳台に自分の人生を見つめ直せる機会もあっただろう。そうすれば夫とその愛人に対する私怨や恨みだけでなく、もっと前向きな人生が送れたのではないか、と私は心から気の毒に思うだけである。
しかし、日本の離婚法もだんだんと欧米諸国のように「破綻主義」へと移行しつつある。夫婦の関係が修復できないほど壊れてしまったのなら、法律でも離婚を認めましょう、というものだ。
破綻主義の考え方では、壊れた夫婦関係を法律だけで縛ってムリに続けさせることが悪であるばかりか、壊れたまま続けさせることによってより大きな悪を引き起こしかねない、と考るものです。破綻した家庭で生活する人間はその人格を荒廃させ、犯罪の温床にすらなりかねないとする、人間への洞察に満ちた見解でもある。
もちろん破綻主義だけを諸手をあげて歓迎するものではないが、少なくとも前述のような、長い、長い、恨みと、救いがたい精神の不幸は、いくらか軽減されるに違いない。
監修:遠藤 誠弁護士
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